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大阪地方裁判所 昭和27年(行)54号 判決 1963年5月02日

京都市中京区油小路通三条角一四五番地

原告

木村庄三郎

右訴訟代理人弁護士

能勢克男

大阪市東区杉山町

被告

大阪国税局長

塩崎潤

右指定代理人

検事 水野祐一

法務事務官 坂田暁彦

大蔵事務官 塩治正美

金子正

右当事者間の頭書事件につき、当裁判所は、昭和三七年一一月七日終結した口頭弁論に基づき、次のとおり判決する。

主文

一、被告が原告の昭和二四年度の所得につき昭和二七年二月二九日付でなした審査決定中、所得金額二七二、三四五円を超える部分はこれを取り消す。

二、原告その余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを一〇分しその一を原告、その九を被告の負担とする。

事実

原告の申立、主張、立証

(A)請求の趣旨

「一、被告が原告の昭和二四年度の所得につき、昭和二七年二月二九日付で、その所得金額を五四六、九〇〇円、所得税額を二五六、三七五円、追徴税額を一三、〇〇〇円となした審査決定中所得金額二二一、八六一円、所得税額六六、五七〇円を超える部分はこれを取り消す。二、訴訟費用は被告の負担とする。」

との判決を求める。

(B)請求の原因

一、原告は金物小売業を営む者である。昭和二四年一月一日より同年一二月三一日までの所得金額を二二一、八六一円、その所得税額を五九、九七五円とした確定申告書を昭和二五年一月三一日に中京税務署に提出したところ、同署長は、同年二月一五日付で所得金額を九九七、七九三円、所得税額を五六三、五九五円、追徴税額を八九、七五〇円とした更正処分をなし、原告は同月二六日その旨の通知を受けた。

原告はこれに対し、同年三月一三日被告(当時は大阪財務局長)に審査請求をした。被告は昭和二七年二月二九日付で原告の昭和二四年度の所得金額を五四六、九〇〇円、所得税額を二五六、三七五円、追徴税額を一三、〇〇〇円とする旨の審査決定をなし、原告は同年三月八日その旨の通知を受けた。

二、しかしながら、原告の昭和二四年度の所得は前記確定申告書に記載のとおりで、被告の審査決定は違法であるから、右審査決定の金額中確定申告書記載の金額を超える部分は取消す旨の判決を求めるものである。

(C)被告の主張に対する答弁

一、被告の主張する別表第一の損益計算書中「原告主張金額」欄記載の金額は審査請求において原告が主張する金額であることに間違いない。原告は右金額を本訴においても原告の主張として主張するものである。したがつて別表第一のうち売上、仕入、期末たな卸、期首たな卸、給料および利息の部分以外の点についての被告主張金額は争わない。

二、(一)売上および仕入について。

(1)  原告の各月の売上高、仕入高はそれぞれ別表第二、第三のとおりである。

昭和二四年一月から三月までの間も卸売業をも営んでいたことは認める。しかし右卸売とは大工、左官に対する道具類の売却で、普通の消費者に対する小売よりは少し安く売つた程度で純卸売ではない。

「一月から三月までの原告の記帳には相当多額の記帳漏れがある」との被告の主張事実は否認する。

売上、仕入とも四月以降尻上りに増加しているのは次の事情によるのである。すなわち、一月から三月までは現金仕入は全然なく、売上も低調なのは前年度の徴税方針がすこぶる激烈であつたので、「税金がこんなにきつくてはもう商売する甲斐などない」とはげしいスランプに陥つていたためで、この間はいわゆる開店休業状態であつた。それにひきかえ四月以降は「こんなことでいつまでも気落ちしては仕方がない」と陣容、方針を立て直し、昭和二四年三月までは店主以外に雇つた従業員は一名もなかつたが、四月からは一度に三名の従業員を増員(特に帳簿担当の従業員を採用)し、三条通りに面した小売場の一番奥の四畳半位の従来の居室に使用していた部屋を壁を落して事務所兼商品陳列場に模様替えし、その他の売場も整備整頓し商売に対し攻勢に出たのであるから、三月以前と四月以降では格段の差ができたのである。商業活動において従業員の人手が二人となり、三人となることはその利益において増加従業員の給料をカバーするだけの算術級数的増加ではなく、幾何級数的増加の比較で増大するものである。

被告のいうとおり一月から三月までの分と四月から九月までの分とに分け、当時の業態、営業に大きな変化がないとして三月三一日のたな卸商品を一月一日の在庫品と同額とみなし、四月以降九月までの営業所得を計算すると一八七、一三九円〇六銭となり、一ヵ月平均三一、一八九円となる。しかるに、もし一月から三月まで被告のいうとおりの記帳漏れの売上および仕入があつたものとすれば一月から三月までの所得は一七九、八二九円〇七銭となり、一ヵ月平均所得は五九、九四三円となる。すなわち一月から三月までの各月は四月以降の各月に比べ、ほとんど倍額に近い所得をあげえたという不合理な結果になる。一月から三月までの商況は一般に秋から年末までの需要期を過ぎた閑散期で、なかんずく一月は正月休みで約半分の日数は商取引がない休日であり、二月は一年中で一番日数の少ない月であり、三月はいわゆる税金月で資金面でも精神的にも商取引の諸精力の減退する不景気な月である。被告の主張は昔からの商売暦をも無視した独善的なものである。被告は税金の納付は四月に集中しているから、徴税攻勢が営業に影響あつたとしてもそれは四月で、一月から三月までの営業には影響ないと主張するが、原告は従来予想もしなかつた高額所得額の査定を押しつけられて何回となく税務署に足を運び困難をきわめる折衝になやみ抜いたあげく、やつとあきらめて四月に増額された分につき納めているのであつて 被告の主張は営業者の実生活を理解しない機械的抽象論である。

(2)  またもし一月から三月までの間に被告のいうとおりの現金売上および現金仕入があつたとすれば、原告の記帳額の倍額にも当る計六五〇、〇〇〇円余の漏れがあることになるが、商取引はすべて相手方があるはずであるし、その大部分は市内取引であるから現代の高度化した税務査察機関なら、なんらかの記帳漏れの具体的証拠を掴みえないはずはないのに、その点についての具体的主張はない。

取引高税査察に際しても、税務署員は数名でなんらの予告なしに抜き打ち的に来て調査したが、その時でさえ原告の売上についてはなんら異議なく、一月より三月まではもちろん、その後も原告の取引高税に対する申告を更正されたことは一度もなかつた。

以上の諸点より原告の売上、仕入に関する被告の主張は思惑認識の域を一歩も出ていないものというべきである。

被告は取引高税と所得税とは課税客体を異にする別個の税目であるから、両者にそごがあつても売上額の算定には影響がない旨主張するが(被告主張の(三)の(5))、取引高税の課税本体は実にほかならぬ売上金額である。

そして売上金額に二つはないのであるから、税務官吏の一人が相当念入りに調査した結果を他の係の一人が造作もたくあずかり知らぬといつて済ますのでは、人民は訴えて行く役所の窓口ごとに審理をいくつにでもしなければならなくなる。

(3)  被告は原告が一月から三月までと、四月から九月までの二つの期間の所得金額の検討において、三月三一日現在のたな卸高と一月一日現在のそれを同額とみなして計算したことに対し、たな卸高は時々刻々変化するものであつて動くものとしての立場からみないのは不当であると主張する(被品主張の三の(三)の(1))。しかしながら被告自身、(四)期首たな卸高の項において「原告の業態、営業規模等になんらの変化がない以上、同年一月一日現在においても卸部の在庫商品と小売部の割合は右期末における割合とほぼ同一であつたものと推定される」と主張し、いわば動かない立場をとつている。被告は自分の立論の場合は動かない立場をとり、相手方の主張を非難する場合には動く立場をとり、いずれを信じたらよいか分らない。原告は被告が在庫商品の割合はほぼ同一とみるというので、その線に沿つて主張したまでである。

(4)  被告は右のように「一月一日現在においても卸部と小売部の在庫商品の割合は期末のそれとほぼ同一であつたと推定する」というが、右は実状を無視した空論である。一月期首は歳末の大売出し直後で店舗内の商品は乱雑に不揃いであり、出る物は出尽し、残つた物は残品として堆積し、在庫商品の様相は簡単に捕捉し難い状態を呈しているが、九月末の状態は一応全商品が営業計画に従つて充実完備の様相を呈しているのであるから、一月と九月末と比率がほぼ同一というのは空論である。

(5)  被告の主張によれば一月から三月までの平均所得は五九、九四三円、四月から九月までの平均所得は四七、二一九円というのであるが(被告主張の三の(三)の(1))、もしそうとすれば、一月から三月までの期間の方が四月から九月までの期間に比べ二割六分九厘の所得大ということになり商売暦を無視した不合理きわまる結果となる。

(6)  「昭和二四年一月から同年三月までの間に帳簿に記帳しない七二、〇〇〇円の売上を生活費に支出した」との被告の主張事実(被告主張三の(二)の(ロ))は否認する。被告において原告が右生活費支出があるというのなら、その内容を明らかにすべきである。

原告はこの間の生活費には手持ちのタンス預金の中から支出したり、家具書画、骨とう品を多数高島屋百貨店および個人に売却した約二〇万円近い金の一部から支出したりしてこれに充てたのである。右タンス預金の中には昭和二三年九月二四日左記宅地、建物を鳥羽一に一五万円で売却した代金が含まれている。

<1> 宅地、三条油小路町一五〇番地所在 四一・三坪

<2> 家屋 同地上

(イ) 木造瓦葺二階建 延一三・八一坪(現在原田居住)

(ロ) 木造瓦葺二階建 延三一・二坪(現在鳥羽居住)

(ハ) 附属建物便所 一・五坪

ただし代書人の手違いで右<1>と<2>の(イ)については当時登記手続を了したが<2>の(ロ)、(ハ)については登記洩れとなつていたことを後日発見したので、昭和二六年八月一六日にその部分につき登記をしたが、二回に分けて売却したのではない。

(7)  「昭和二四年一月から同年三月までに原告が手許現金から一〇三、七〇七円を立替支出した」との被告の主張事実(被告主張三の(二)の(ロ))は認めるが、逆に金銭出納から一五、四〇七円六〇銭戻つているので差引立替支出は八八、二九九円七〇銭である。

(8)  被告は差益率からいつても被告の主張金額は合理性があると主張する(被告主張三の(三)の(5))。しかしまず第一に別表第五に記載の二〇件の取引物件の抽出方法が問題である。原告はこのような二〇件の物品の取引のあつたこと、ならびに卸と小売の割合が四と六の割合であつたことは認めるが、被告はこれら取引品種を任意というよりもむしろし意的に選び出して表にしたものであつて、その仕入価、売価、荒利益、利益率は認めることができない。右の表には利益率のすこぶる小さいバケツ(四%)、水杓子(八%)というごときものあり、逆に鍋蓋(二四%)、アルミ釜(二三%)というごときものもあつて千差万別である。原告の取扱品種数千種、取引数十万件の中からその好みにしたがつて利益率の小さいもののみ抽出することもできるし、利益率の大きいものばかり抽出することもできる次第である。このようにして抽出した結果の平均利益率はどのようにでも「作られる」のであつて、これをもつて原告の全営業取引の平均利益率とみなすことはできない。被告の右主張は一見科学的統計的であるかのようで、最も非科学的というほかない。

(二)期首、期末たな卸について。

たな卸商品の評価方法に最終仕入原価法を採用していたとの被告主張事実は認める。

被告は現物が既は消滅してしまつた今日になつて、「原告の評価は適当でない」と主張する。しかし過ぎ去つた後日になつて理由をつけて金額を推定するよりも、その当時において税務署の係官の高橋氏が立ち会つて相共に調査決定した金額の方がたとえ部分的には一括評価があろうとも、遙に現実的であり、正当性が強いというべきである。税務署の係官の一人が立ち会つたうえ決定した価格を後になつて他の係官が「適当でない」といつて裁判を自己に有利に導こうとするのを認めねばならないとすれば、国民は何に指標を定めたらよいか分らない。被告主張の失当なることこれより甚しきはない。さらにもし右期首たな卸高を今にして約一〇〇、〇〇〇円も減額することは、すでに更正決定し、相当遠い過去に全額納付済みとなつている昭和二三年度所得を今日において約一〇〇、〇〇〇円減らさねばならぬということになり、その不合理は明らかである。なお乙第二号証は鈴木事務官の下書きに基づいて書いたもので原告が自発的に作成したものではない。

(三)給料について。

原告の弟木村孝三、義弟三崎啓三郎は被告の主張するように同居の親族ではない。両名は戦後、特に昭和二四年一月以後は一回も原告と同居した事実はない。両名は始めからそれぞれ一戸を構え、配偶者を有し、世帯を別にし、源泉所得税の申告ならびに納付もすませている。被告は損益計算書中公課に含まれている源泉所得税を認め、公課をなんら修正せずにおきながら、他方でこの給料を否認するのは理解に苦しむところである。

(四)利息について。

借入金は営業上の運転資金として借り入れたものであるからその利息は必要経費である。相続税の納付については原告は当時約二〇〇、〇〇〇円の家財道具類を売却した代金と昭和二三年度所得中の利益金とをこれに当て、納付したものである。

三、営業外所得について。

(一)  被告主張の不動産所得は、収入金額から必要経費を差し引くと所得がないから原告は申告をしなかつたものである。昭和二四年度中に原告が受け取つた家賃金は別表第五のうち、池端、野口、渡辺、木内の分は被告主張のとおりであるが、合名会社木村商店より受け取つた額は一五、九〇〇円ではなく、三、〇〇〇円である。借家に対する固定資産税は被告の主張するとおり、六、五六八円である。被告は別表第五の計算書によれば借家五軒に対して修理費等一般管理費を全然計上していない。少額の家賃を徴収する借家所得は経費を差し引くと、ほとんど所得はゼロとなり、場合によつては欠損となることが少なくないのである。現に原告はこの期間に二万数千円の修繕費を支出している。被告の計算書では不動産所得の収入金額のうち経費はわずか二四%しかみられていないが、例えば借家中渡辺が居住する月額三〇〇円の家賃の修繕費、公課、債却費月額七二円ではいかなる修繕をなしうるであろうか。

(二)  被告の主張する利子収入二八〇円は原告の脱漏であつた。これは余りに少額で、この所得は銀行が通帳に記入してしまうもので、直接に金額、時期などについて明示的伝達がない性質のものであるので、脱漏したものである。

四、本訴において被告の申立によりなされた昭和三一年五月二三日付文書提出命令に基づき、原告より裁判所に提出した帳簿類を被告が十分な時間をかけて検討した結果も原告の主張の線より大きな変動はなく、被告主張の金額は根本より動揺し、原告の昭和二四年の所得金額につき中京税務署長がなした更正処分、被告の審査決定、本訴になつてから被告主張の変更をふり返つてみると次のとおりである。

(1)昭和二五年二月二五日付中京税務署長の決定額 九九七、七九三円

(2)昭和二七年二月二九日付被告の審査決定額 五四六、九〇〇円

(3)被告の昭和二九年三月二九日付準備書面での主張金額 六一四、四一四円

(4)被告の昭和三二年六月二五日付準備書面での主張金額 五八六、四四九円

(5)被告の昭和三七年五月二一日付準備書面での主張金額 七七七、七一二円

右のように訂正、訂正と幾変遷をしている。結局被告の推計計算が確固たる根拠なくして、上からの押しつけの数字であつたというほかない。

これに対し、原告の主張は昭和二五年一月三一日の確定申告当初より現在まで終始一貫営業所得金額は一九四、八六一円といというのであつてその計算の基礎にもほとんど変化がない。

これによつてみても原被告双方のうち、いずれの主張が正しいかは自ら明らかである。

(C)証拠関係

(一)提出、援用の証拠の標目

(1)書証。甲第一、二、三号証、第四号証の一の(イ)、(ロ)、第四号証の一の(ハ)、(ニ)の各一、二、第四号証の二、第五号証の一、二、第六号証の一、二の各(イ)、(ロ)、第七号証の一、二、第八号証の一、二、三

(2)証人。井上永吉、鈴木三郎、村田鉄弥、高橋昇、木村孝三、三崎啓三郎の各証言

(3)原告本人の供述(第一、二回)

(二)乙号証に対する認否

乙第八号証、第一〇、一一号証、第一二号証の一、二は真正に成立したものかどうか知らない。その余の乙号証は真正に成立したものであることを認める(乙第九号証はその原本の存在並に成立も認める。)

被告の申立、主張、立証

(A)請求の趣旨に対する申立

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決を求める。

(B)請求の原因に対する答弁

一、原告主張一の事実は認める。

二、原告の審査請求の要旨は、原告の昭和二四年中の所得金額は原告が個人経営で金物販売業をなしていた期間(昭和二四年一月一日より同年九月三〇日まで)の事業等所得金額一九四、八六一円および合名会社木村商店よりの給与所得金二七、〇〇〇円、合計二二一、八六一円であり、中京税務署長のなした更正処分は違法であるというのである。

三、本件課税処分のうち事業等営業所得の計算について。

原告が審査請求の基にした損益計算書と被告の主張するところとを対比表示すれば別表第一のとおりである。右により明らかなとおり、原被告間の営業損益計算上の争点は、売上、期末たな卸、仕入、期首たな卸、給料および利息の部分である。そのうちの主な争点は原告備付の商業帳簿のうち、一月から三月までの記載が信用できるかどうか、できないとした場合被告がとつた推計の方法、計算が妥当であるかどうかにある。

右争いのある科目につき被告主張金額算出の根拠は次のとおりである。

(一)仕入について。

原告備付の商業帳簿に昭和二四年四月より九月までの現金仕入として原告主張の別表第三(A)のとおり記載されていることは争わない。右総計は四六〇、八九三円であり、これを月平均にすると七六、八〇〇円になる。その期間と取扱商品、取引先等なんら業態の変らない同年一月から三月までの期間には小口現金仕入高の記録が全くなされていない。原告は昭和二四年度分の営業について複式記帳による商業帳簿を備え付けているが、この帳簿の三月末までの記帳は営業の取引事実をそのまま記録したものと認めることはできない。すなわち、右期間の帳簿記載は昭和二四年四月に原告が経理担当として井上永吉を雇い入れてから後に、同人が従前原告が記録していた帳簿、手控等に基づいて遡つて記帳したものにほかならない。したがつて従前の営業記録は主に掛売買等の債権、債務関係を備忘的に記録したにとどまり、営業成果の計算のための記録ではない。このことは原告が前年度分の所得税課税処分についての審査請求の際、その要求額の計算に当り、帳簿に基づく売上高は卸売高一、一七三、六〇〇円、現金小売高五〇二、九七四円一〇銭、合計一、六七六、五七四円一〇銭であつたが、原告自身売上帳簿以外に現金小売が一日につき約二、〇〇〇円程度あることを自覚していたため、小売記帳額五〇二、九七四円一〇銭に記帳漏分七二〇、〇〇〇円を加算して小売高を一、二二二、九七四円一〇銭と修正している(乙第三号証の五参照)。すなわち現金小売高の記帳額に対する脱漏額の割合は原告自身の計算によるも一四四%

<省略>

となつており、このような状態の記帳が昭和二四年三月まで続いていたのである。それ故原告は本件審査請求にあたり、「一月より三月までの記帳は専任の経理担当者がなかつたため不正確な点があるかも知れない」旨(乙第二号証参照)述べている。したがつて一月より三月までの期間においても四月から九月までと同じ程度の小口現金仕入があつたものと認められる。すなわち一月から三月までの仕入高は前記四月から九月までの月平均七六、八〇〇円の三ヵ月分二三〇、四〇〇円である。したがつて昭和二四年度の仕入高は、原告主張の三、〇九一、六六三円に右二三〇、四〇〇円を加えた三、三二二、〇六三円である。

一月から三月までの掛仕入高が別表第三(B)どおりであるとの原告主張事実は認める。

(二)売上について。

原告備付の商業張簿に、昭和二四年一月から九月まで現金売、掛売として原告主張の別表第二のとおり記載されていることは争わない。右によれば本件所得計算期間中の掛売上高は一月および九月を除いて月当り一一〇、〇〇〇円ないし一四〇、〇〇〇円程度で大差がないにかかわらず、現金売上高は四月より九月までの各月が二〇〇、〇〇〇円ないし四〇〇、〇〇〇円あるのに対し、一月より三月までは月当り九〇、〇〇〇円ないし一一二、〇〇〇円であつて、四月より九月までの期間に比し甚しく過少である。この原因は(一)の場合と同様一月から三月までの原告の商業帳簿が正確に記載されていなかつたことによるものである。そこで被告はこの期間の現金売上のうち次の(イ)、(ロ)、(ハ)の合計額四〇六、一〇七円と(ニ)七月に支払つた公租公課二〇三、二二六円を記帳漏れ売上金と認定した。

(イ) (一)で述べた小口現金仕入高二三〇、四〇〇円

(ロ) 一月より三月までの生計費のうち七二、〇〇〇円

(ハ) 一月より三月までの間に原告が手許現金より支出したという立替金一〇三、七〇七円

(ニ) 七月に六回に支払つた公租公課計二〇三、二二六円

右(イ)の支払資金の出所は記帳外売上金によつたものである。

右(ロ)の生計費七二、〇〇〇円を記帳漏れ売上金より支出したものと認めた理由は次のとおりである。帳簿によると四月以降は各月営業資金より原告の生活費がまかなわれているにもかかわらず、一月から三月まではこれが全くない。この間の生活費支出の源泉が明らかでないから、原告は現金小売高を記帳せず直接生活費に費消したものと認定した。四月分の記帳によると一日につき八〇〇円を生活費として立替金勘定に振り替えているものと推定されるので、この三ヵ月分を七二、〇〇〇円と認定した。

原告は生活費にはタンス預金の一部を当てたもので右タンス預金は昭和二三年秋鳥羽一に売渡した家屋二棟の代金一五万円が含まれていると主張するが(原告主張二の(一)の(6))、昭和二三年に鳥羽一に売却したのは原告主張(イ)の建物(延一三・八一坪)だけで、原告主張(ロ)の建物(延三一・二坪)を鳥羽一に売却したのは昭和二五年である(乙第一一号証参照)。そうすると原告が鳥羽に売つた家屋の総延坪数四五・〇一坪のうち、昭和二三年に売つたのは一三・八一坪であるから原告が昭和二三年秋に取得した売買代金は総額のⅠ/3にもみたぬ少額であつたはずである。またタンス預金が残つておれば営業資金から生活費に立替を受ける必要はないから、タンス預金が原告の手許にあつたということは考慮の余地がない。

右(ハ)の立替金の出所を売上金と認めた理由は次のとおりである。

本件の立替金勘定の大半は店主と営業自体との間の金銭の交流関係を記録した勘定であり、その実質は店主勘定に相当するもので、その内容は次のとおりである。

<省略>

すなわち原告の帳簿体系は現金出納簿を根幹として一切の金銭の出入は出納簿を通し行われている形式となつているが、一月より三月までの間は現金出納簿以外の原告の手許金より一〇三、七〇七円を営業費用に支払つた処理をしている。しかしこの手許金の出所関係は全く不明であるから、被告はこの分を記帳漏れの現金小売高の仮装経理と認定した。

右(ニ)の金員を記帳洩れ売上金とみたのは次の理由からである。原告帳簿の立替金勘定によれば九月三〇日に立替金が八四七、五九〇円二五銭あるが(前記表九月の借方金額欄、乙第五号証の四参照)、右立替金は原告の生活費で負担すべき公租公課(所得税、相続税等)の納付に充てたものである。原告はそのうち

七月 四日 三八、六二六円

七月 八日 二四、六〇〇円

七月一三日 三〇、〇〇〇円

七月一四日 五〇、〇〇〇円

七月一五日 三〇、〇〇〇円

七月二二日 三〇、〇〇〇円

以上合計 二〇三、二二六円

をいずれも現金で支払つているが、これらは金銭出納簿からは支払われた事実がないから(乙第一二号証参照)、被告はこれを記帳洩れ売上金から支払つたものと認めた。

(三)売上、仕入に関する原告の主張に対する反論。

(1) 原告は売上および仕入について、「仮に被告のいうように売上、仕入に脱漏があつたとすれば一月から三月までの所得と四月から九月までの所得を比較すると一月から三月までの一ヵ月平均所得が四月から九月までの一ヵ月平均所得の倍額に近い所得となり、被告の推定は昔からの商売暦を無視したものである」と主張する(原告主張の二の(一)の(1))が、右は三月三一日現在のたな卸高を一月一日現在のそれと同額とみなしての計算を前提として主張している。しかしたな卸商品の額は到々変化するもので、このようなみなすべからざる前提を基にした計算は不当である。仮に原告のこの計算方法を是認するとしても、被告の計算を批判するにはたな卸金額も被告主張の金額を採用し、その結果についてなすべきにかかわらず、原告は売上、仕入金額については、被告の主張金額を採用し、たな卸金額については原告の主張金額を採用したために原告主張のような不合理が生じたのである。この点を修正すると一月から三月までの所得金額は一七九、八二九円(註一)で一ヵ月平均所得は五九、九四三円となり、四月から九月までの所得金額は二八三、三一八円(註二)で一ヵ月平均所得は四七、二一九円となる。したがつて原告はこの金額について被告の計算を批判すべきである。

(註一)

194,876円76銭-187,139,円06銭=7,722円70銭

{原告計算の1月から9月までの所得金額別表第一・損失の部利益金欄の金額} {原告主張4月から9月までの所得金額} {1月から3月までの所得金額}

7,722円70銭+442,107円-240,000円=179,829円

{売上高の原被告主張の差額ただし昭和32.6.25付被告準備書面で訂正する前のもの} {仕入高の原被告主張の差額ただし昭和32.6.26付被告準備書面で訂正する前のもの}

(註二)

187,139円+96,179円=283,318円

(前出) {期首たな卸額の原被告の差額ただし昭和32.6.25付被告準備書面で訂正する以前のもの}

(2) 原告の分析方式に従つて原告の損益計算書を検討すると、一月から三月までの所得金額は七、七二二円(前記註一参照)で、一ヵ月平均所得は二、五七四円であるのに対し、四月から九月までの所得金額は一八七、一三九円で一ヵ月平均所得は三一、一八九円となる。すなわち一月から三月までの各月における所得は四月以降の所得と比べて<省略>以下となる。このようなことは一月から三月までの期間と四月以降の期間とにおいて原告の業態に特別の変化がない限り、とうてい是認しえない事実で、被告が一月から三月までの間の原告の記帳に重大な欠陥があると認定したのは相当な事由がある。

(3) 原告記帳の売上高と翌年の売上高(合名会社木村商店)について、各年四月分売上高を一〇〇としてこれを比較すると別表第四のとおりで、売上指数は両年とも四月以降近似しているが、三月以前の売上指数は昭和二四年分指数が特に低くなつている。右により原告がいう「商売暦」より観察しても、この期間の記帳の欠陥が明瞭である。

(4) 原告は、「一月から三月までの現金小売高が四月以降に比し、著しく低いのは、徴税攻勢でスランプに陥つていたのに反し四月以降は従業員をまし、商売に対し攻勢に出たからである」と主張する(原告主張二の(一)の(1))。しかし従業員を増すことによつて外交等を活溌に行い、卸売の業績をあげることは考えうるが、小売の場合人手を増しただけで急激に売上を増加させるということは通常ありえないことである。

また昭和二三年分所得税確定申告期限は昭和二四年一月末日であつたが、その納税の督促をきびしく行なつたのは四月になつてからである。このことは原告の記帳(乙第九号証)により調べてみると別表第八のとおり原告の所得税の納付が四月に集中していたことが分かる。したがつて仮に、国税の徴収が原告の営業成績に影響するところあつたとしてもそれは三月ではなく四月であるはずであるから、徴税攻勢による営業意欲喪失のため三月の売上が減少したという原告の主張は根拠がない。

原告の店は創業以来一五〇年の老舗であり、昭和二三年頃ならびに昭和二四年八月頃も金物卸売業を営んでいたのであるから、右両時期に介在する昭和二四年一月ないし三月の期間も特段の事情のないかぎり右卸売業を営んでいたということができる。

原告がその主張のように四畳半の部屋の壁を落したことは争わないが、それは事務所を改造した程度であつて、店舗の美観を増し、規模が大きくなつたというほどのものではない。

右店舗の改造、業態、後記のたな卸数量等を考慮すれば、一月ないし三月の期間と四月ないし一二月の期間とで営業の規模には大した変化はなく、また三月には原告主張のような徴税攻勢はないのであるから、一月ないし三月の期間の売上が、四月ないし一二月の期間に比し格別低下する特段の理由はない。

(5) 本件係争年度中の売上に対する差益(荒利益)の状況は別表第五のとおり一九・〇二%である。右差益率と原被告の主張する計算による差益率とを比較すると別表第六のとおりで、被告の計算はその差益率とほぼ一致している。この点よりみても被告の計算は合理性がある。

(6) 原告は「被告が記帳漏れだと主帳するについての具体的証拠がなく、また被告が記帳漏れがあつたと主張する期間取引高税申告につき更正されたこともないから被告の主張は不当である。」と主張する(原告主張の二の(一)の(2))。しかし所得税課税については調査の結果に客観的妥当性があり、原告においてその妥当性を覆えすだけの理由がない以上、仮に取引相手方についての記帳漏れの具体的証拠がなくても被告の認定は違法ではない。また取引高税と所得税については若干の関連はあるが、課税客体も異にする別個の税目であり、調査の実務も異なり、仮に取引高税と所得税にそごがあつたとしても、これをもつて取引高税に更正がなかつたから売上帳の金額には脱漏がないとする原告の主張は理由がない。

(四)期末たな卸について。

原告の作成した期末商品たな卸表(甲第五号証)のうち

商品 個数 単価 合計金額

(1) 鉄上置 20 ¥38 ¥7,600

(2) 風呂桶 14 ¥2,000 ¥48,000

と記載した部分があるが、(1)の合計金額は七六〇円(2)のそれは二八、〇〇〇円であるから、前記記載は計算の誤りであり、したがつて(1)において六、八四〇円、(2)において二〇、〇〇〇円、以上合計二六、八四〇円が過大に表示されている。したがつて期末たな卸高は原告主張の八七八、三六七円より右二六、八四〇円を差引いた八五一、五二七円である。

原告はたな卸商品の評価方法に最終仕入原価法を採用しているから、期首在庫商品や期中仕入品のうち、期首に売残つた商品については期首に評価された単価、期中に実際に仕入れた単価にかかわらず、期末にあらためて最終仕入単価によつて評価換えされる。インフレが進んでいる時は、商品在庫量に変化がなくても、すなわち店の規模が大きくならなくても、時の経過とともに在庫商品の評価額はこう騰するわけである。原告の期末たな卸金額は期首たな卸金額に比し一一九%の増加をしめしているが、原告の主要販売商品である鋳物製品の鋳物材料である銑鉄(鋳物用)の昭和二四年一月の物価指数は五、四一〇で九月のこれは八、一九〇である(乙第一〇号証参照)からその上昇率は一五一%になることにかんがみれば原告の前記一一九%の増加は在庫数量が期首に比し期末において増加したことを意味するものではない。

(五)期首たな卸について。

(1) 原告の評価による昭和二四年一月一日現在の在庫商品七八三、二六七円のうち小売部の商品および店舗の小売用商品の評価は個別調査をなさず概算二〇〇、〇〇〇円と評価しているが、かかる評価方法は適当でないので次のような算定方法でこれを七二五、〇〇〇円を評価した。

昭和二四年九月三〇日現在のたな卸在庫商品の評価額八五一、五二七円であることは前記(四)に述べたとおりであり、このうち小売部商品一八五、一五二円であることは原被告間に争いがない(別表第一参照)。したがつて期末における卸部の在庫に対する小売部の在庫割合は二一・七四%である。原告の業態、営業規模等になんらの変化がない以上、同年一月一日現在においても卸部の在庫商品と小売部の在庫商品の割合は右期末における割合とほぼ同一のものであつたと推定される。期首におけるたな卸在庫高のうち卸部の在庫商品高が五八三、二六七円であることも当事者間に争いがない(別表第一参照)。したがつて期首における在庫商品中の小売部の在庫は一二六、八〇二円と推定される。

583,267円×0.2174=126,802円

したがつて期首たな卸額は卸部の五八三、二六七円と小売部の一二六、八〇二円の合計七一〇、〇六九円である。

右認定の評価金額が絶対に正確なものとは期待しえないが、たな卸調査をなすべき時期よりも二年以上も経過した審査決定の当時としてはやむえない方法であり、原告の概算による評価よりも合理的である。

(2) 原告は前記のとおり小売部の期首たな卸高を二〇〇、〇〇〇円と主張しているが、昭和二四年三月一九日付昭和二三年分所得税審査請求書によると右たな卸と同一時点である昭和二三年分期末たな卸において三〇〇、〇〇〇円(卸部五八三、二六七円、小売部三〇〇、〇〇〇円計八八三、二六七円)と計上しており(乙第三号証の三参照)、原告の主張自体首尾一貫していないし、また二〇〇、〇〇〇円とする一括評価が過大であることは審査請求書の意見具申書中第二項の趣旨により明らかである(乙第二号証参照)。なお原告は右乙第二号証は原告が自主的に作成したのではない旨主張するが、乙第二号証を作る基になつたという甲第三号証と対比すれば形式、意見の表現方法も全く異なり、乙第二号証は原告独自の意思によつて提出されたことは明らかである。

(3) 原告は「税務署の係官が立ち会つたたな卸の金額はたとえ部分的には一括評価があつても正当性が強く後日他の係官が適当でないと判断するのは失当である」と主張する(原告主張二の(二))が、税務署の係官高橋某がたな卸に立会したとの事実は争う。のみならず通常立会をもつて正当性が強いというのは、立会がある以上、間違いがなかろうとの前提においてである。本件のように品性、取得時期、取得価格等の異なる種々雑多な商品を根拠なく、単に「小売部および二階小売用商品二〇〇、〇〇〇円」と一括評価するのが会計常識上不適当であることは論をまたない。

(4) 原告は期首たな卸を修正すれば昭和二三年度の所得金額に影響すると主張する(原告主張二の(二)後段)が、原告主張のようにたな卸額の修正により前年度の所得金額が異動するのは前年の所得金額が正規の損益計算により継続的に計算された場合に限るのであり、原告の前年度の所得金額の計算は推計計算によるものであつて(乙第三号証の一ないし五参照)、本件の場合期首たな卸額の修正は前年度の所得金額になんら影響しない。

(六)給料について。

原告が計上している給料一五四、〇〇〇円のうちには、原告と同居している実弟木村孝三に対する分四八、〇〇〇円、義弟三崎啓三郎に対する分四六、〇〇〇円が含まれている。右計九四、〇〇〇円を原告が支出しているとしても所得税法第一〇条第二項(必要経費)にいう「使用人の給料」には当らず、家事上の経費またはこれに関連する経費にほかならない。

(七)利息について。

原告が計上している支払利息一四、七七四円七七銭は記帳によると四月六日に雇人井上永吉より借り入れた五〇、〇〇〇円に対する利息八、一五〇円、五月二一日に雇人杉本武一より借り入れた五〇、〇〇〇円に対する利息六、六五〇円の合計一四、八〇〇円より預金利子二五円二三銭を控除したものであるが、被告は右借入金の存在ならびに利息支払の事実を争う。仮にその事実があつたとしても右は相続税および所得税納付のための支払資金として借り入れた金員に対するものである。すなわち記帳によると井上永吉よりの借入金は四月六日に原告が支払つた所得税一一四、〇一〇円の支払資金の一部として借り入れたものであるから、所得税法第一〇条第二項にいう収入をうるために必要な負担の利子には当らないから必要経費ではない

四、営業以外の所得について。

(一)不動産所得。

原告は別表第七のとおり不動産より生ずる所得二一、四七六円を有するが、所得税申告をしておらない。別表中の減価債却四五六円は借家建物の取得価額一五、二〇〇円より残存価額として一割相当分を控除した残余をその耐用年数三〇年で割つたものである。

(15,200円-1,5000円)÷30年=456円

原告は右借家に、この期に修繕費二万数千円を支出したと主張するが、右事実は知らない。

(二)利子所得。

原告は前記(六)の支払利息より控除していた預金利子二五円(ただし円未満切捨)と協和銀行松原支店より受けた預金利子二八〇円の合計三〇五円を有するが、所得税の申告をしていない。

五、以上の各項で被告が認定した所得金額と原告が合名会社木村商店より受けた給与所得二七、〇〇〇円(この金額は冒頭にのべたとおり、原告が審査請求書中でも述べているところなので、当事者間に争いがない金額である)とを合算すれば次のとおり昭和二四年の総所得金額は七七七、七一二円となる。

所得の種類 金額

事業等所得(営業) 七二八、九三一円

同 (不動産) 二一、四七六円

利子所得 三〇五円

給与所得 二七、〇〇〇円

合計 七七七、七一二円

よつて右金額より下廻つてなした被告の審査決定は違法でない。

(C)証拠関係

(一)提出、援用の証拠の標目

(1)書証。乙第一号証の一、二、第二号証、第三号証の一ないし五、第四号証、第五号証の一ないし四、第六ないし一一号証(乙第九号証は原告の総勘定元帳の一部の写)第一二、一三号証の各一、二

(2)証人井上永吉、鈴木三郎(第一、二回)、鳥羽一の各証言

(3)原告本人の供述(第一回)、

(二)甲号証に対すを認否

甲号証はすべて真正に成立したものであることを認める。

なお甲第三号証を利益に援用する。

理由

一、原告主張一の事実は当事者間に争いがない。

二、事業所得について。

原告の金物販売による事業所得に関する別表第一の損益計算書中、利益の部の売上、期末たな卸、損失の部の仕入、期首たな卸、給料、利息、利益金の各項目以外の金額は被告主張のとおりであることは当事者間に争いがない。

(一)売上および仕入について。

昭和二四年四月より九月までの各月の現金仕入高、同年一月より三月までの各月の掛仕入高がそれぞれ別表第三(A)、(B)のとおりであること、原告備付の商業帳簿に一月から九月までの現金売、掛売として別表第二のとおり記帳されていることは当事者間に争いがない。

別表第二、第三によれば、掛売は一月から八月まで毎月約一〇万ないし一二、三万円で大差がないのに、現金売は一月ないし三月は一〇万円前後、四月が二〇万円余、五月ないし八月は三〇万円余りで一月ないし三月と、四月以後とで可成りの開きがあり、一月ないし三月は掛仕入はあつたが現金仕入は皆無となつている。

証人井上永吉の証言、原告本人の供述(第一回)によれば前記原告の帳簿は昭和二四年四月井上永吉が原告の店に会計事務員として勤めるようになつてから、それまで原告がつけていた帳簿や領収書、納品書、請求書等の資料を整理して記帳したものであることが認められ、したがつて必ずしも正確なものとは認めがたいことは被告の主張するとおりである。

(1)  被告は一月から三月までの間において、仕入において二三〇、四〇〇円、売上において四〇六、一〇七円の記帳洩れがあると主張する。

成立に争いのない乙第三号証の五によれば原告が昭和二四年三月に大阪財務局長宛に提出した昭和二三年度所得金額に対する審査請求書の添付書類に「売上帳に記載の小売の売上高五〇二、九七四円一〇銭のほかに小売一日約二、〇〇〇円年間七二〇、〇〇〇円程の売上があつた」旨の記載がある。右によれば、昭和二三年度の原告の小売に関する記帳には被告主張のとおり一四四%の割合の脱洩があつたことになる。

成立に争いのない甲第五号証の一、二、乙第三号証の一、二、五、証人井上永吉、同木村孝三、同三崎啓三郎の各証言と原告本人の供述(第一回)ならびに当事者間に争いのない次の事実すなわち、昭和二四年四月以降において、三条通りに面した小売場の一番奥の四畳半位の部屋を壁を落して事務所兼商品陳列場に模様替したこと、とを総合すれば次の事実が認められる。

「昭和二四年一月一〇日過ぎに中京税務署より高橋事務官が原告の店へ昭和二三年度の所得の調査のために来て、午前一一時頃より午後五時頃までかゝつて原告方の倉庫、地下室等の在庫品を徹底的に調べ、たな卸表を二日以内に作成して提出するように命じて帰つた。原告は、木村孝三、三崎啓三郎を手伝わせて二日がかりで棚卸表(甲第五号証)を作つて右高橋事務官のもとまで提出した。

「同年三月二日には中京税務署より昭和二三年度の所得額を七〇〇、〇〇〇円、所得税額を三六五、五九三円、追徴税を六二、二二五円とする原告にとつては予想外の多額の更正通知を受けた。税務署より三人の係員が原告方へ納税の督促に来て、二階の机のひき出しや着物の中まで金が隠くしてないかと調べられたこともあつた。原告は右更正通知に対し、大阪財務局長に審査請求をするとともに、納税のため三月中は金策に奔走した。原告は昭和二三年度の所得税を予想外に高く更正され、一時は気落ちしたが、また気をとり直し四月から会計事務の経験を持つ井上永吉を会計係として雇入れ、小売の店舗も四畳半位の居室を事務所ならびに商品陳列場として店舗床面積を拡げ、五、六月からは卸売に力を入れて拡大し、元店員杉本武一を再び雇入れ、営業に積極的になつた。」(被告は、納税の督促をきびしく行なつたのは四月になつてからであるから、国税の徴収が原告の営業成績に影響したとすれば四月のはずで、三月は影響がないと主張し、成立に争いのない乙第九号証によれば、原告が昭和二四年に入つてから支払つた昭和二三年度の所得税の支払状況は別表第八のとおり、四月に入つてから集中していることは認められるが、その事実は前認定を妨げるものではない。)

右認定の事実と証人鈴木三郎の証言(第一回)により認められるごとく、原告のような商売の店は一般に一、二月の売上は他の月に比べて少ないという事実とを総合すれば、原告の現金売の金高において一月ないし三月と四月以後とで前記のごとき開きがあつたとしてもあながち不自然とも言い切れないものがある。

また前記のとおり別表第三(B)のとおり一月から三月までの間に計六二九、八四八円三五銭の掛仕入のあつたことは当事者間に争いがない。一方原告主張の別表第二の一月から三月までの現金売、掛売を合計すれば六七八、九四二円六〇銭となり、仕入値と売値の差額を考慮すれば、大体売却した分に見合う程度の仕入が掛でなされていたという計算になる。

したがつて、被告の主張するように一月から三月までの間にも四月から九月までの仕入高の月平均の三ヵ月分の現金仕入があつたものと推定することは困難である。

(2)  したがつてまた被告主張三の(二)の(イ)の二三〇、四〇〇円の記帳洩れ売上も認められない。

(3)  被告は一月から三月までの生活費七二、〇〇〇円、原告の立替金一〇三、七〇七円は記載洩れ売上金と主張する(被告主張三の(二)の(ロ)、(ハ))。

右のうち一〇三、七〇七円三〇銭を原告が一月から三月までの間に手許現金から支出したことは原告も認めるところであるが、原告は右のうち一五、四〇七円六〇銭は逆に戻つているので、差引支出は八八、二九九円七〇銭と主張し、成立に争いのない乙第五号証の一によれば右事実が認められる。

原告帳簿に記帳されている一月から三月までの売上の合計は前記のとおり六七八、九四二円である。もつともこのうち掛売の分は現金が入るのは翌月ないし翌々月になるのではあるが、順送りで、前記金額にほぼ近い金額の現金の入金が一月から三月の間にあつたことになる。

被告は売上に対する荒利益は一九・〇二%と主張し、原告は右率を争うが卸四、小売六の割合であつたことは認めるところである。前記乙第三号証の五によれば原告の見解による荒利益率は卸一〇%小売二〇%であることが認められる。原告のいう卸四、小売六の比率というのが金額においていうのか、数量においていうのか明らかでないが仮に金額における比率をさすものとして前記原告の記帳にかかる一月から三月までの売上合計六七八、九四二円について原告の見解による利益率にしたがつて荒利益を計算してみると次のとおり一〇八、六三〇円となる。

<省略>

(卸の割合)(卸の荒利益率)

<省略>

(小売の割合)(小売の荒利益率)

<1>+<2>=¥108,630

このうちから必要経費を差し引いた残を生活費の一部に充てることは可能であるし、証人井上永吉の証言、原告本人の供述(第一回)によれば、昭和二三年秋原告が鳥羽一に売却した原告主張の土地家屋の代金一五〇、〇〇〇円のうち一〇〇、〇〇〇円位がいわゆるタンス預金として残つていたこと、(成立に争いのない甲第八号証の三、乙第一三号証の一によれば原告主張(ロ)、(ハ)の建物は、昭和二五年六月二〇日の売買を原因として昭和二六年八月一六日に所有権移転の登記がなされていることが認められるが、証人鳥羽一の証言、原告本人の供述(第二回)によれば、右は昭和二三年に売買したうちの一部が代書の手違いで登記洩れとなつていたためにその分だけ昭和二六年になつて登記したもので、昭和二三年と昭和二五年の二回に分けて売却したものではないことが認められる)、原告が家具、書画、骨とう品を処分して数十万円を作つたことが認められるので、これらの金員が被告主張の前記金員の出所ともみられるので、右金額を記帳洩れの売上金とすることも認められない。

(4)  被告は、七月に支払つた公租公課二〇三、二二六円も記帳洩れ売上金と主張する(被告主張三の(二)の(ニ))。

成立に争いのない乙第五号証の四(立替金勘定の帳簿)によれば九月三〇日の欄に「借方、八四七、五九〇円二五銭、一月一日―九月三〇日までの個人の私生活経費とみなされる公課二六件を店主の立替とす」との記載があり、証人鈴木三郎の証言(第二回)により大蔵事務官角田昇一が作成したものと認められる乙第一二号証の一(調査顛末書と題する書面)に添付のメモ(同号証の二)によれば前記八四七、五九〇円二五銭の内訳を記載してあるが、前記乙第五号証の四には二六件となつており乙第一二号証の二に記載してあるのは計二三件である。そしてその二三件を合計すれば、九四三、五九〇円二五銭となり八四七、五九〇円二五銭とはならない。したがつて、右乙第一二号証の二は角田昇一事務官が何によつてこのメモを作成したのか明らかでなく内容が正確なものとは認め難く、右書証によれば被告主張のごとく、七月四日三八、六二六円より七月二二日三〇、〇〇〇円まで六口の金員の記載はあるけれども、いまだこれらの金員が記帳洩れの売上金とは認定し難い。

(5)  被告は原告主張の損益計算書によると一月ないし三月の所得は四月以降の所得に比べ<省略>以下になると主張する(被告主張三の(三)の(2))。しかし右被告の主張は一月から三月までの所得を七、七二二円としての計算であるが、右七、七二二円は四月から九月までの所得を一八七、一三九円とする原告の主張(原告主張二の(一)の(1))を前提とするものである。右一八七、一三九円はどのようにして算出したのか明らかでない。右前提に誤りないことが確定されなければ、被告の反論が正しいかどうか検討のしようがない。前記(3)で述べたように当裁判所の計算では原告の帳簿に記帳されている売上金額を基にして計算しても一月ないし三月の間の荒利益は一〇万円余になるのであるから、必要経費を差し引いても七、七二二円という小額ではないはずで、被告が主張するように四月以降に比し、一月ないし三月の所得が<省略>以下になるということはないと思われる。

(6)  被告は差益率からいつても被告の推定は合理性があると主張する(被告主張三の(三)の(5))。証人鈴木三郎の証言(第一回)により真正に成立したものと認められる乙第八号証には別表第五のとおりの記載があり、証人鈴木三郎の証言(第二回)によれば、右乙第八号証は同人が大阪国税局協議団京都支部の協議官として原告方へ調査に行つた際、原告から聞いた仕入、売上の各金額を書き留めて帰り、これを浄書したもので、利益率は右浄書の際算出したものであることが認められる。しかし右乙第八号証記載の二〇品目は成立に争いのない甲第五号証と対比すれば、原告の主張するとおり原告店舗の商品の一部であるから、右二〇品目の平均荒利益が原告店舗商品の全体の平均荒利益と果して一致するものかどうか明らかでないので、右はいまだ被告の推計の合理性を裏付ける証拠とはなし難い。

(二)期末たな卸について。

被告は従来原告主張の期末たな卸高八七八、三六七円を争わなかつたところ、昭和三七年四月二日付準備書面で「原告が作成した期末商品たな卸表(甲第五号証)中、鉄上置と風呂桶の部分には誤算がある」として、誤算による過大表示部分を従来の主張金額から差引いて八五一、五二七円と訂正主張した。

しかし右甲第五号証は昭和二三年の期末たな卸表、すなわち昭和二四年の期首たな卸表であることは前記(一)の(1)で認定したとおりであり、昭和二四年九月三〇日現在の期末たな卸表ではない。もし右二品目が九月末にも売れずにそのまゝあつたとすれば、期末のたな卸高に影響するかも知れないが、その点明らかでない。被告の右主張は誤解に基づくものと思われる。

(三)期首たな卸高について。

(1)  前記甲第五号証の一、二と証人高橋昇、同木村孝三の各証言、原告本人第一回の供述を総合すれば次の事実が認められる。「高橋昇は中京税務署員として原告の昭和二三年度の所得金額調査のため、昭和二四年一月一四日原告方に赴き、午前一一時頃より午後五時頃までかゝつて原告方の倉庫、地下室にある商品の在庫量をメモしながら調査した。最後に店舗とその二階に置いてある商品を調査する段階になつたが、商品が細かいもの多数であり、時間も遅くなつたので高橋事務官は一通りみた上、右店舗とその二階にある全商品を二〇〇、〇〇〇円と見積り、「二〇〇、〇〇〇円位あると思うがどうか」と原告の意見を聞いた。原告も二〇〇、〇〇〇円という見積は正確なところをついていると思つたので、これに同意した。原告は高橋事務官から二日間でたな卸表を作つて提出するよう求められたので、妻や木村孝三、三崎啓三郎に手伝わしてたな卸表(甲第五号証の一、二)を作成し、高橋事務官に提出した。右たな卸表には店とその二階の商品は高橋事務官が見積り、原告がこれに同意したところに従つて二〇〇、〇〇〇円と記載されているが、その他の品目については高橋事務官が調査した際のメモに記載してないものまで記載してあり、同事務官が調査した品目は洩れなく記載してある。」

右認定の事実よりすれば昭和二四年期首のたな卸商品の額は原告の主張の七八三、二六七円より後記(4)の誤算部分を差引いた額(うち店舗およびその二階にあつた商品の額は二〇〇、〇〇〇円)と認められる。

(2)  被告は、昭和二四年九月三〇日現在のたな卸商品の評価額中の小売商品と卸商品の比率より逆算して同年一月一日現在も同じ比率であつたものとして店舗ならびにその二階には二六、八〇二円の在庫があつたものと推定すべきであると主張するが、卸商品と小売商品の比率が九月末と一月一日と同じであつたことは原告の否定するところであり(原告主張二の(一)の(4))、これを認めるべき証拠がない以上、右被告の推定は合理的なものとは認め難い。もつとも原告の主張する二〇〇、〇〇〇円という金額は前記のとおり目算による見積りであつて二〇〇、〇〇〇円という全然端数のない在庫量というのは真実の在庫量と必ずしも一致するものとは考えられないが、さればといつて被告の推計は右認定を覆えすに足る程の合理的なものとも言いえない。

(3)  成立に争いのない乙第二号証(原告が被告に提出した審査請求に関する意見請願書と題する書面)には「二、期首棚卸は一月一八日中京税務署員高橋氏立会で実施しましたが、小売部及二階の小売用商品は一々個別に調査せず概算で二十万円と見積られましたが、……実際額はこれだけ無かつたのではないかと思われ、とにかく一両日で棚卸をせよとの事で高橋氏の言葉に従つてうやむやの内に二十万円と決めて何も知らずに計算して戴いた物ですから何卒充分御検討下さいます様願上げます」との記載部分もあるが、いまだ前記認定を覆えすに足る資料とはならない。

(4)  もつとも右甲第五号証の二の中には被告の主張するとおり、鉄上置と風呂桶について誤算があり、この誤算による過大表示部分二六、八四〇円を差引くと期首たな卸高は七五六、四二七円である。

(四)給料について。

成立に争いのない甲第四号証の一の(ハ)の一、二、同号証の一の(二)の一、二、同号証の二と証人木村孝三、同三崎啓三郎の証言、原告本人第一回の供述を総合すれば次の事実が認められる。「木村孝三は原告の弟で、昭和二一年六月復員し、昭和二二年一一月に結婚し、原告の家とは別棟の南隣の家に原告とは別に世帯を持つた。昭和二三年暮より原告の店に勤め、昭和二四年一月から三月までは毎日二〇〇円の割で原告から給料を貰い、同年四月からは月八、〇〇〇円の割で給料を貰つていた。三崎啓三郎は原告の妹婿で、昭和二二年八月結婚し、京都市右京区太秦森ケ西町の借家に世帯を持つた。同人は結婚する前から原告の店に勤めていたが昭和二四年一月から三月までは一日二〇〇円の割、四月からは月八、〇〇〇円の給料を原告から貰つていた。」

右認定の事実よりすれば、原告が木村孝三、三崎啓三郎に支給した金額は所得税法第一〇条第二項にいわゆる「使用人の給料」に該当し、必要経費と認められる。

(五)利息について。

成立に争いのない乙第四、六、七号証によれば、原告が井上永吉に対して利息金として支払つた六月二二日の三、〇五〇円、八月二五日の三、〇五〇円、九月一五日の二、〇五〇円は同人より四月六日に借り入れた五〇、〇〇〇円に対するものであること、杉本武一に対し利息金として支払つた七月二四日の三、〇五〇円、九月三〇日の三、六〇〇円は同人より五月二一日に借り入れた五〇、〇〇〇円に対するものであること、原告は四月六日に昭和二三年度の所得税一〇〇、〇〇〇円と一四、〇一〇円の計一一四、〇一〇円を納付しているが、その前日である四月五日の現金の残は四九、五〇七円であり、四月六日の現金の入金は右井上よりの借入金五〇、〇〇〇円と木村ヨネよりの借入金六、六〇〇円を除けば、売上金一〇、八九四円、正田売掛金の入金二、七二三円、店主よりの立替金戻り(銀行引出)四〇、八〇八円で、これらを前日の現金の残四九、五〇七円と合計するも一〇三、九三二円で、同日納付した所得税の一一四、〇一〇円になお一〇、〇七八円不足することが認められる。右事実よりすれば井上永吉よりの借入金五〇、〇〇〇円は少なくともその一部は所得税納付のために借り入れたものと認めるのほかない。五〇、〇〇〇円のうち営業用にあてられた部分があるかどうか、あればいくらかについて特定しえない以上右借入金に対し同人に支払つた利息計八、一五〇円は必要経費とは認められない。

証人鈴木三郎の証言(第二回)によれば杉本武一より借り入れた前記五〇、〇〇〇円は相続税納付のために借り入れたものであることが認められるので、同人に支払つた利息六、六五〇円も必要経費とは認められない。

三、事業外の所得について。

(一)不動産所得。

原告が別表第七表記載の借家五軒を有すること、右のうち借家人池端、野口、渡辺、木内よりの家賃収入が被告主張のとおりであること、右借家五軒の公租公課が六、五六八円であることは当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第六号証の一、二の各(イ)、(ロ)と証人木村孝三の証言、原告本人の供述(第一回)を総合すれば、原告は昭和二四年一〇月一日合名会社木村商店を設立して、従来個人経営だつたのを会社組織に経営形態を変更して以来、原告は同人所有の家屋を同会社に賃料一ヵ月一、〇〇〇円にて賃貸し、昭和二四年一〇月、一一月、一二月の三ヵ月で計三、〇〇〇円の家賃を取得していることが認められる。被告は合名会社木村商店よりの家賃収入は月五、三〇〇円にて計一五、九〇〇円と主張するが、これを認めるに足るべき証拠はない。

原告は昭和二四年に右借家は二万数千円の修繕費を支出していると主張するがこれを認めるに足るべき証拠がない(原告本人も「直しているとすれば屋根であるが、二四年中に直したかどうかはつきり分らない」旨供述している)。

昭和二四年当時施行されていた所得税法には現行所得税法第一〇条の三のごとき減価償却の規定はなかつたが、当時施行されていた法人税法施行細則第一条、第四条、同細則の別表一の規定を類推して、被告主張のとおり、取得価格より残存価額として一割相当額を控除した残を耐用年数三〇年で割つた金額を減価償却額とするのが相当と認める。

別表第七記載の家屋の取得価格は一五、二〇〇円との被告の主張に対し、原告は明らかに争わないので、自白したものとみなすが、右金額を基にして前記計算方式により算出すれば本件家屋の減価償却額は被告主張のとおり四五六円である。

そうすると不動産所得の収入は次のとおりであり、所得金額は八、五六五円である。

<省略>

(二)利子所得。

協和銀行松原支店よりの預金の利子二八〇円の所得があつたことは原告も認めるところであり、そのほかに二五円の預金利子のあること(被告主張三の(六)参照)も原告の明らかには争わないところであるので自白したものとみなす。そうすると預金利子の所得は被告の主張するとおり計三〇五円である。

(三)給与所得。

成立に争いのない乙第一号証の一、二によれば原告の昭和二四年度の給与所得は二七、〇〇〇円であることが認められる。

四、以上認定したところを要約すると次のとおりである。

(一)事業所得。

別表第一のうち原被告間の争点である売上、仕入、期末たな卸、期首たな卸、給料、利息の各項目中期首たな卸、七五六、四二七円、利息〇円とする以外は原告主張のとおりで被告主張金額は認められない。したがつて営業上の所得は別表第一の損失の部「利益金」欄の原告主張金額一九四、八六一円に期首たな卸額の差額二六、八四〇円と控除されない利息一四、七七四円とを加えた二三六、四七五円である。

(二)事業外所得。

(1)  不動産所得 八、五六五円

(2)  利子所得 三〇五円

(3)  給与所得 二七、〇〇〇円

(三)総所得金額((一)+(二))二七二、三四五円

五、よつて被告のなした審査決定中、所得金額二七二、三四五円を超える部分は違法であるから、これを取消すこととし原告の本訴請求は右取消の限度においてその理由があるのでこれを認容するが、その余は理由がないのでこれを棄却することゝし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条、第九二条但書を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 前田覚郎 裁判官 中村三郎 裁判官 野田殷稔)

別表第一

損金計算書(昭和二四年一月→一日同年九月三〇日)

<省略>

(注)「差額」の計算については原告主張金頭の円未満の端数は切り捨てて計算した。

別表第二

各月別売上高表(昭和二四年一月→同年九月)

<省略>

別表第三

(A)諸口現金仕入月別表

<省略>

(B)掛仕入月別表

<省略>

別表第四

売上比較表

<省略>

被告第二準備書面に右表売上高合計額の金額として三、五三五、五三六円と記載してあるのは三、五三五、五三九円との誤算による誤記と認める。

別表第五

<省略>

(20.1%×0.6)+(17.4%×0.4)=19.02%……差益率

(小売差益率)(総売上に対する小売の割合)(卸の差益率)(総売上に対する卸の割合)

別表第六

<省略>

(注)右表中( )中の数字は被告の昭和三二年六月二五日付準備書面二の4の表に記載されている数字であるがいずれも誤記ないし、誤算であると認める。

別表第七

不動産の所得計算書

<省略>

別表第八

昭和二三年分所得税支払状況

<省略>

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